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「普通科」は時代遅れか

高校改革に関する自民党と政府の「教育再生実行会議」の提言がそれぞれまとまったとして、5月27日の時事通信がその概要を報じています。

 いずれも生徒の約7割が在籍する「普通科」の改革が柱とされ、戦後新制高校が発足して以来手付かずだった高校の「普通科」について、生徒がより目的意識を持って学べるよう「理数重視」や「地域人材育成」など学校の特色に応じた細分化を目指すとしています。

 例えば、自民党提言では「普通科を類型化して特色を持たせ、画一的な教育を改める」との内容で集約されました。普通科は今後(自民党と政府の)二つの提言に沿い、教育内容に応じて複数の類型に細分化することになるようです。

 記事によれば、自民党の議論を主導してきたある議員は「『普通のこと』は人工知能(AI)がする時代。『普通』なんて要らないでしょ?」と話し、普通科廃止を訴えているということです。

 その一方で、こうした「専門化」を早い段階から進めることについては反対意見も根強いと記事はしています。例えば、中学生の段階で(誰もが)将来の進路をある程度決めなければならなくなるとすれば、(長いモラトリアム期間に慣れきった)日本の子供たちへのプレッシャーは随分と大きなものになるだろうということです。

 しかし、文部科学省の担当者によれば「(自民党などの)先生方の中では、高校時代からボーッとしていないで、目的やキャリア意識をはっきりと持つべきだという考えが大勢」だと記事は記しています。

 選挙を戦いながら人生を勝ち抜いてきた自民党国会議員にとっては、小さいころから将来への展望を持って目標に向かって精進することこそが「望ましい若者」の姿だということでしょう。

 現状では進学率が約99%とほぼ「全入」の高等学校ですが、そのカリキュラムは学校教育法により「普通科」と農業や工業など専門教育を行う「専門学科」に分けられています。1994年には、さらに普通教育と専門教育から幅広く教科を選択できる「総合学科」も創設されましたが、現在でも約7割の生徒が普通科に在籍しているのが実態です。

 そんな中に始められた今回の改革の背景には、学校現場における高校生の学習時間や意欲の低下への危機感があると記事は説明しています。

 2001年に生まれた子どもを対象に文部科学省などが行っている調査で「校外での学習時間」を聞いたところ、平日「まったくしない」と答えた生徒は中学1年で9.3%だったのに対し、高校1年になるとそれが25.4%に上った。「学校の勉強は将来とても役に立つと思う」と回答したのは、中学1年の37.7%から高校1年になると27.4%に下がったということです。

 いずれにしても、文部科学省では今回の提言における指摘などを踏まえ、普通科の細分化に向けて高校設置基準を見直す方針だと記事はしています。

 文系大学に進学する高校生の割合が高く、大学受験を見据えて理系教科を早々に諦める生徒が多いという現実的な課題もある。このため、文系理系をバランスよく学ぶ仕組みなども取り入れていくと記事は説明しています。

 いい若いもんが目標もなく生きていくなんてけしからん。早いうちから人生の方針を決めて専門的な知識や経験を積んでいくことが「効率的」だということでしょう。

 しかし、人生の目的を「競争力をつける」ことにおいて子供たちに「生き急ぐこと」を強いるのも、それはそれで「昭和」の匂いの残る改革だと感じるのは私だけではないでしょう。

 これからやってくるAI時代の人々には、(機械には作り出せない)新しい「感性」や新しい「価値」を作り出す力が重要になってくると言われています。そして、そうしたものの見方や力を身に着けるには、(専門的な知識や技術以前に)様々な出会いや経験が必要であることは論を待ちません。

 記事も指定するように、確かに目的もなく「ボーッと生きている」だけでは(チコちゃんに叱られるばかりでなく)貴重な青春がつまらないものになってしまうかもしれません。しかし、幅広い教養の中から時間をかけて自分の進む道を選びとっていけるようにすることもまた、「教育」の目的のひとつなのではないかと感じるところです。






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